2011年12月1日木曜日

「繕う」ことで…

 前回の更新(6月、デンバーのホテルで書いたのが最後…ウソぉ?)からかなり間が空いてしまいました…。理由はいろいろあって、激務だった、とかもう一つ顧問を務める水泳部の試合に出なくてはいけなかった、とか並べ立てても、つまるところ自己管理能力が不足していた、だけのことなのですが。この下に表示されている三木からの報告にもあった通り、顧問が忙しくても、部員たちはいろいろ頑張ってくれているので助かります…

 大学教員の仕事に戻って4年目、顧問が所属しているヘルスプロモーション整復学科も1期生が卒業を迎えようとしています。そのおかげなのかどうか判りませんが、最近昔のことをよく振り返るようになりました。それも柔道整復師の国家試験前後のことを…

 大学を休学して入った専門学校、その3年次、1994年の夏は鈴鹿にいました。中学のころからのあこがれのチーム「モリワキレーシング」で、アスレティックトレーナーの見習いとして。

サーキットに着いてみると、さらに嬉しい誤算が…チームが本来契約していた選手の負傷で、これまた中学のころから憧れだった八代俊二選手が急遽抜擢されていました。そして、詳しく事情は書きませんが、本来チームが依頼していたトレーナーさんが起こしたトラブルのおかげで、見習いであった私を、八代選手は最終日までアスレティックトレーナーとして使ってくださるという幸運にも恵まれました。おかげでこの翌年、1995年から97年までモリワキチームにお世話になることに…