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2016年6月23日木曜日

施術者の感情移入は許されない?

ある学生の質問から…
「先生はいろいろなスポーツを頑張る方々を診てこられたと思いますが、選手の話や保護者の方の話などを聞いて、感情移入してしまうことはありませんか?患者さんの焦る気持ちに対して施術者は冷静でいないといけないと思いますが。先生の考えを教えていただきたいです」
94年鈴鹿8時間耐久レース、顧問のアスレティックトレーナーとして初めての現場

感情移入ですか?もちろんしてしまいます。ただ、それを表に出すかどうか…です。答えはすでに出てしまいましたが、我々サポートする立場の者とアスリートとの距離感、あるいは立ち位置をどこに置くか、は非常に難しい課題で、私自身もスポーツの現場に出るようになって21年、いまだに試行錯誤している状態です。選手が通ってくれている施設の施術者、チームのアスレティックトレーナー、選手の個人トレーナー、などその時の立場の違いによってその答えは異なるからです。今あげた3つのすべてを経験してきましたが、それぞれで最適な答えは違うと感じています。

2015年11月17日火曜日

巷にあふれる「セミナー・勉強会」に思うこと

 顧問の牛島です。最近はFacebookTwitterなどSNSの発展で、そこでつながる学生たちの日々の出来事がよく見えるようになりました。「あ~彼はこんなところでバイトしているのか」とか「今こういうことに興味をもっているのだな」というような事が、こちらから尋ねなくても知ることができるのですね、便利な世の中になったものです。

で、そんな中最近よく目につくのが「~セミナーに参加しました」という投稿です。私が柔道整復の専門学校に通っている時もよく「学校で学べることなど、国家試験に合格するための知識でしかなくて、臨床の現場ではそれじゃあ全く足りない」から学校の外で開かれる勉強会に出席すべし、というような空気がありました。今はそれに加えて「就職のためのネットワークづくりになるから」というのも学外で行われる様々なセミナー参加への動機になっているみたいです。

確かに我々養成教育を行う側としては、卒業と同時に行われるそれぞれの資格の国家試験に合格してほしい、そのあまりに試験範囲から逸脱したものをあまり吹き込みたくない、というのがあるのかもしれませんし、学校によってはそのカリキュラムが設置基準の最低限しか満たしていないところもあることは事実です。そういう学校に通っているのなら、ある程度仕方ないところかな、とは思いますが…ウチは違う。1902コマ、それを3年で取れる資格を、1904コマ、それも4年かけて取らせようというのですから、それなりに充実している…はずなんです。

2012年12月22日土曜日

これまでを振り返って…


受け持っているヘルスプロモーション整復学科4年生(2期生)の卒業試験の監督に行きました。MTIのメンバーだった学生も、今は3月に迫った国家試験に向けて勉強した成果をマークシートにぶつけていました。

2時間半の間、ただただ何も言わず、静まりかえった教室の中を歩いていますと、これまでの4年間が走馬灯のように浮かび上がります…非常に月並みな表現ですが(笑)。

大学進学のために制限されていたことから解放され、与えられた自由とどう向き合うか、「生徒から学生」へのアジャストメントに戸惑う1年、解剖学、生理学そして運動学など1年で習った基礎がどのように専門の分野に結び付いて行くのか、を知る2年、治療の技術を身につけて行く3年…と来て、4年生で待ち構えるのは、「国家試験に合格するため」の勉強。そうやって振り返ると4年という期間の中で、自分が興味を持ったことを深く追求できるのは3年、あるいは4年の前半まで、さらに、1年のうちは、基礎が身についていないだけでなく、「そもそも何に興味があるのか」すら明確ではありませんから(だからMTIは2年生から入部可)、大学生活4年間のうち長くて実質2年半ほどしか「自由に学べる」期間はないのですね…

その短い期間のなかで、卒業して資格を取得したあとも、継続して追い求めてみよう、という事柄に出会えることは何にもまして財産ではないかなと思います。

顧問のアメリカでの学生時代を振り返ると、2年の「バイオメカニクス基礎(今顧問がHPS学科で受け持っている基礎運動学の続編)」で出された課題に「投球で肘にかかる負担」を選び、大学院1年の「バイオメカニクスの応用」では、学部2年の課題で集めた文献をそのまま使える(これから読む文献の量がセーブできる)、何かあれば研修先である野球部のコーチや大学野球ATC歴20年以上の師匠(足関節のテーピング20秒切るあのオヤジです)に質問できる、という後ろ向きな理由から(笑)「肘の内側側副靱帯損傷の予防」を選び、いつしか、母校の先生方や仲間内では「投球外傷といえば、ヨシだよな」と言われるように…大学院では全然違うコトを勉強していたのですが(笑)。(写真は、顧問の母校、カリフォルニア州立大学フラトン校と対戦直前のH大学野球部と…2001年3月)


2011年12月1日木曜日

「繕う」ことで…

 前回の更新(6月、デンバーのホテルで書いたのが最後…ウソぉ?)からかなり間が空いてしまいました…。理由はいろいろあって、激務だった、とかもう一つ顧問を務める水泳部の試合に出なくてはいけなかった、とか並べ立てても、つまるところ自己管理能力が不足していた、だけのことなのですが。この下に表示されている三木からの報告にもあった通り、顧問が忙しくても、部員たちはいろいろ頑張ってくれているので助かります…

 大学教員の仕事に戻って4年目、顧問が所属しているヘルスプロモーション整復学科も1期生が卒業を迎えようとしています。そのおかげなのかどうか判りませんが、最近昔のことをよく振り返るようになりました。それも柔道整復師の国家試験前後のことを…

 大学を休学して入った専門学校、その3年次、1994年の夏は鈴鹿にいました。中学のころからのあこがれのチーム「モリワキレーシング」で、アスレティックトレーナーの見習いとして。

サーキットに着いてみると、さらに嬉しい誤算が…チームが本来契約していた選手の負傷で、これまた中学のころから憧れだった八代俊二選手が急遽抜擢されていました。そして、詳しく事情は書きませんが、本来チームが依頼していたトレーナーさんが起こしたトラブルのおかげで、見習いであった私を、八代選手は最終日までアスレティックトレーナーとして使ってくださるという幸運にも恵まれました。おかげでこの翌年、1995年から97年までモリワキチームにお世話になることに…

 

2011年4月5日火曜日

新しい年度を迎えるにあたって・・・

前回のブログの更新から、また時間が経ってしまいました・・・

 本来であればアメリカ研修旅行記なども投稿するつもりでいたのですが、大学附属接骨院立ち上げや長女の高校受験などもあり手が回らなかったところにあの震災・・・

 東日本大震災でお亡くなりになられた方々に深くお悔やみを申しあげるとともに、被害に遭われた皆様及びご家族の皆様に心よりお見舞い申しあげます。

 さて、新年度がいよいよ始まりましたが、私ホル塩は今一つやる気が出ません。大学附属接骨院には2月から来ていただいている佐々木先生に加えて、専門学校での教え子でアメリカ研修を共にした畑島先生(3月までは畑島君と呼んでいましたけど、今はもう立派な先生ですね)も着任され、激務からは解放されたのですが・・・

2011年1月26日水曜日

闇が最も深いのは・・・

前回から、もう2月の声を聞こうかという頃まで、何も更新せずに放置してしまいました。

顧問は年明けから、週末の学外での活動(中学硬式野球・空手大会の救護)に出ては、そのたびに体調を崩してしまう悪循環に陥ってしまい、これを書いている今も実はフラフラだったりします。

でもこんなときに限って本業の方も意外にはかどってる上に、体調不良を押して、顧問を務めるもう一つの部活動、水泳部の練習に出れば、何年振りかの好タイムが出るという、ちょっと不思議なピーチパイ(by竹内まりや、アラフォーの方、笑うのはココですよ)。

MTIのメンバーは・・・

2010年12月9日木曜日

MTI設立1周年を前に・・・

年の瀬、あわただしくなってきたこの頃・・・振り返ればもう1年が過ぎようとしています。

 部長のまえやま君と副部長のきたおか君から、マッサージを練習したい、その場所を常時確保するにはクラブとして形のあるものにしたい、と相談を受けたのは昨年の11月のことでした。

 私は引き受けるからには、ということで、ただマッサージを練習するのではなく、もっと深いところ、たとえば、徒手療法、手を使って治療する技術、の意義みたいなもの、まで勉強できるクラブにするべきでは、とアイデアを出させてもらい、まずは部員たちがやりたいことを優先に、いろいろ回り道しながら活動を続けてきました。

 マッサージに代表される、手を使った治療の技術はいろいろありますが、子供のころ、怪我をしたときに母親が傷口に手を当ててくれただけで痛みがどこかへ行ってしまった、というような記憶に代表されるように、人の手が触れる、それだけでも治療の効果はあるわけです。

それがゆえに、ピンからキリまで古今東西、多種多様の技術が存在するのですね・・・

2010年10月5日火曜日

2010年7月26日月曜日

アタマに汗をかけ!

腰仙部神経叢とは(1)
医学生?それともPT? DC? はたまたATC? 美しいノートに注目



独特のアクセント、顧問の英語もクセがひどいだろうな、聞きたくないけど。
ちなみにMTIのささはらさんのノートもこれに負けてはいない、いや上を行ってる、必見。

2010年6月26日土曜日

休校日ですが・・・

実は本日休校日なのに研究室にいます。

 明日セミナー講師を90分4コマやるのでその準備に追われています。本業ではないのにこんなに力をいれて、と大学経営陣からは怒られるかもしれませんが、そのセミナーの参加者(本学卒業生、専門学校の卒業生も多くいます)の熱意に後押しされているのは言うまでもありません。

ですが、本来ワタシが情熱を注ぐべき対象は・・・

 「起立、礼」の号令を掛けているのはHPS学科だけかもしれませんが、それは礼を重んじるからです。HPS学科の目指す資格は「柔道整復師」、世界中どこを探してもスポーツ・武道の名前が資格に含まれる医療資格はほかにありません。

2010年5月22日土曜日

我思う、故に我あり

MTIもメンバーが増えて賑やかになってきました。

ところが今年度が始まってからというもの、顧問はドタバタと猛烈に忙しい日々を過ごしています。教員という仕事はやろうと思えばいくらでもやることが増えていく仕事ではありますけど、今回の忙しさはワタシの時間の管理能力の問題で、06年―07年に米国の某球団にいたときを思うと、

「もっとうまくやれたのになあ」

と思うこともしばしばです。顧問があまりかまってあげられないなか(メンバーにかまってもらえないなか、の間違いでは?)メンバーたちはそれぞれに学びたいこと、というのが増えてきているようで、顧問としては嬉しい悲鳴です。とくにHPS3年のメンバーからは、

「外傷の検査法を学びたい」

とリクエストがありました。じつは、ワタシとくに検査法に関しては、かわいいメンバーたちの頼みとはいえ、おいそれと応えられない理由があります・・・

2010年4月2日金曜日

ワタシの師匠



たぶん彼が死ぬまで勝てない・・・ワタシも43秒とがんばりましたけど(笑)。
ちなみに全米で2位の速さ、あと一歩で$1500取れた人です。

2010年3月18日木曜日

凱旋帰国!

 ご無沙汰しています、部員の指導をサボって、アメリカにきています。

日曜に到着して時差ぼけが残る中、月曜は解剖研修、5時間立ちっぱなしで自分の興味のある関節にメスをいれる参加者の姿に、引率者として感激しました。


火曜、水曜はワタシの母校訪問。

午前の「外傷評価のシステム」「ストレイン・カウンターストレイン(手技治療法)」の講義はこちらの大学院1年生にお願いしていたのですが、なかなかどうして堂々としたもの。本学の大学院も修了した参加者も完全に白旗を揚げるくらいのいい講義でした。

2010年2月9日火曜日

自分へのご褒美

祝!顧問が今季気合を入れて取り組んだ科目の成績がつきました。

留学してた時みたいに騒ぎにいきてぇ・・・

2010年1月25日月曜日

怖れ多くも・・・

大先輩、河田弘道先生よりメールをいただきました。

 先生についての説明は私ごときができるほどではありませんが、米国の大学のスポーツ局局長(Athletic Director: 体育会の代表、学長に次ぐ権限をもつ)の地位を捨て帰国。プリンスホテルの野球部や西武ライオンズを立ち上げ、NECの企業スポーツを福利厚生の一環からスポーツビジネスに変え、そして90年代中盤、長嶋巨人メークドラマ、メークミラクルの影の立役者となられたことで知られる先生です。

 背筋を伸ばして拝見させていただきますと、その先生が教えておられるゼミでの取り組みが記事になったと書かれていました。

 マスメディアが先生を取り上げることなど日常茶飯事なのに、あえてこの記事の掲載を知らせてくださったのは、ゼミの学生が主役として全国紙で取り上げられたことが大変嬉しかったのはもちろん、スポーツ現場から教育の場に戻ってたいした結果を出せていない私への叱咤激励でもあると勝手に思っています。

2010年1月16日土曜日

今の私があるのは・・・

みんながいい写真をアップするので対抗したくなりました。

今のワタシからは想像できない人もいるかもしれませんね。何が言いたかったかというと、


「過去は変えられる」と「大切なのは出会い」


 1989年、何もかもが自分の思う通りに運んでいました。個人競技である競泳は、自分が努力した分だけ結果が出ます。ワタシはこの写真を撮った、堺市の公立高校の大会で2位でしたが、その3週間前に行われた大阪府の大会でも2位、3コースから飛び込んでいる、この翌年に1500m自由形で日本記録を樹立する一つ年下のY君と二人、1週間前に高知で行われたインターハイ帰りの泳ぎを見せようとスタートした瞬間です。試合会場になった高校の門では、何人か女の子がカメラをもってやってきて、「写真一緒にお願いします、できたら送るので住所教えてください」(ウソじゃないんだってば!)で、ワタシは迎えにきた女子大生(後のワタシの奥さん)の運転する車で去る・・・


しかしこの頃から、歯車は微妙に狂いはじめ・・・